福岡市 中央区
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更新日: 2016年10月1日

このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。
随時記事の追加や修正を行っていますが、記載内容の誤り等、何かお気づきの点がございましたら企画振興課(092-718-1013)までお知らせください。
 なお、本記事を無断で転載・引用等することはご遠慮ください。


【福岡城跡】


 

中央区の代表的な歴史資産

 
石垣が美しい福岡城跡の画像
 

石垣が美しい福岡城跡


福岡城は、関ヶ原の戦いでの功績によって徳川家から筑前52万石を与えられた福岡藩初代藩主・黒田長政が、慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて那珂郡警固村福崎の地に築城したものです。


豊臣秀吉が主導した文禄・慶長の役の際に、日本軍が攻めあぐんだ朝鮮の難攻不落の城・晋州城をモデルにして造られたといわれています。


「福岡城」という名は、黒田家がもともと備前国邑久(おく)郡の福岡(現在の岡山県瀬戸内市)出身であったことに由来します。祖先の地を偲んで「福崎」の名を「福岡」に改めました。


別名は舞鶴城。博多湾側から見た城の形が、空を舞う鶴の姿に似ていたからです。


 
展望台になっている大天守台跡の画像
 

展望台になっている大天守台跡



福岡城の国史跡指定地の面積は約48万平方メートルです。5メートルから15メートルの高さに積んだ石垣によって、城郭は天守台、本丸、その周囲に二の丸、さらにその南に三の丸という4層に分かれ、10余りの門と、大小47の櫓が置かれていました。


石垣に使われているのは玄武岩や花崗岩で、当時、福岡の海浜に残っていた元寇防塁の石や、糸島半島の石が使われました。


ちなみに、これまでは福岡城に天守閣はなかったと考えられていました。外様大名である黒田藩が立派な天守閣を築いて権力を誇示すれば、徳川家から警戒されるかもしれないという懸念から、天守閣を造らなかったと理解されてきました。


しかし近年になって、天守閣は一度建てられた後に解体されたと推測される資料が見つかり、天守閣が存在したかどうかは論議を呼んでいます。


現在、福岡城跡は舞鶴公園として整備され、大天守台跡は展望台になっています。


 

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