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更新日: 2018年8月10日

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鶴原雁林とキツネの恩返し

キツネの恩返し

 福岡藩医の鶴原家は、代々雁林(がんりん)を名乗っていました。ある夜、福岡藩家老の屋敷まで往診に行ったところ、池のそばで1匹のキツネが松の木に縛られていました。家老に聞くと、キツネが池の鯉を盗みにくるので、捕らえて殺そうとしているとのことでした。雁林は哀れに思い「キツネの生き肝は良薬になりますから」と下げ渡してもらい、我が家に連れて帰りました。そしてキツネに「これからは侍屋敷に近づくな。山に帰り、山で食べ物を探せ」と懇々と諭して放してやりました。

 その後雁林は、京に遊学の際、病に倒れて高熱を発しますが、美しい娘の手厚い看護により回復。雁林は礼を述べて身分を尋ねましたが、身分を明かさないままそこで別れました。寝床にキツネの毛が落ちていたため、あの時のキツネが助けてくれたものと、雁林は福岡に帰ってから庭に祠(ほこら)を建て、赤飯と油揚げを毎日供えました。
 
 これには後日談があります。宝暦3年(1753年)、宝暦の大火の時、浜町から出火した火事は、大名町から土手町を焼き尽くしました。いよいよ雁林町へ燃え移ろうとした時に1匹の白キツネが現れ、大きなしっぽを一振りすると火勢は衰え、雁林家は類焼を免れたということです。これもキツネの報恩でしょう。

 先生の屋敷があった雁林町は現在の大名一丁目、二丁目界隈です。