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更新日: 2009年7月2日

【渡辺与八郎】


地名「渡辺通」にその名を残す渡辺与八郎

現在の渡辺通り

現在の渡辺通り
 「渡辺通」という地名は、明治時代の呉服問屋「紙与」の主人・渡辺与八郎の名前から付けられました。このように現在でも由緒がはっきりしている人物の名前が付けられた地名は、かなり珍しいものです。


 渡辺与八郎は、現在の渡辺通りが一面、麦畑や稲田に覆われていたころ、一商人でありながら福博発展という大構想を持って大学誘致や遊郭の移転という、当時大変困難だった大仕事に取り組み、福博のまちに電車を走らせるという大事業に乗り出した人物です。


 「福博発展のためには、この場所にこの路線が必要なのだ」という信念のもと、商いで得た大金を投じて広大な土地を見込み買いし、開発のために土地を提供していきました。そんな彼の将来を見通す力と行動力が、天神と清川方面を結ぶ幹線道路としての価値が高く、天神に隣接して福岡有数のオフィス街となった現在の渡辺通りに繋がっているのです。


 一方で彼は常に表に出ることを避け、その功績を記念するために名前が地名として提案されたときもきっぱりと断り、「渡辺通」という名称が正式に決まったのは、与八郎が明治44年に46才で亡くなった後のことだそうです。


 「50年先の福岡市の発展」というスケールの大きな目標を掲げて信念を貫いた与八郎の人物像を重ねると、「渡辺通」という地名は、当時の人々の夢や活力をも今に伝えるまさに人間味あふれる地名であると思えてきます。
 
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