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更新日: 2009年6月30日

【下之橋御門(福岡城跡)】


二層楼門として復元された下之橋御門

平成20年11月に復元されて一般公開された下之橋御門

平成20年11月に復元されて一般公開された下之橋御門


 福岡藩初代藩主・黒田長政は、慶長5年(1600年)に天下分け目の関ヶ原の合戦で、東軍の徳川家康軍に味方して大きな軍功をあげ、12万5千石(18万石ともいわれる)の豊後中津城主から、筑前52万石の大大名に転封となりました。


 さっそく同年12月に、前城主・小早川秀秋の名島城(現在の東区)に入城します。しかし長政は名島城では手狭と判断し、筑前国那珂郡警固村福崎に新しい城を築城させました。黒田家の故郷の備前国邑久(おく)郡福岡(現在の岡山県)から名を取って、土地の名を福岡に、城の名称を福岡城としました。


 福岡城内へ入る門は、周囲の堀に架かる「上之橋(かみのはし)」「下之橋(しものはし)」「追廻橋(おいまわしばし)」の3つの橋にそれぞれ立っていました。そのうち、現在でも立っているのが下之橋御門です。


 現在の門は文化2年(1805年)に建てられましたが、明治時代に上層部を失い、長く一層のままでした。平成12年(2000年)に不審火によって被災したため、同20年に江戸時代の姿の二層楼門として復元されました。


 石垣に囲まれたこの門に入ると、一瞬、江戸時代ににタイムスリップしたような感覚に陥ります。

 
 福岡城は敵から攻められたことはありませんが、明治6年に農民一揆が起こり、当時城内にあった県庁に一揆軍が攻め入ったときに竹槍や鎌で突いた傷跡が、この門には多くあります。



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