平和台陸上競技場前から大濠公園へと抜ける散策道の途中に、名島門が立っています。この門は天正16年(1588年)、小早川隆景(たかかげ)が多々良川口の名島(現在の東区)に築いた名島城の門です。
福岡藩初代藩主・黒田長政が居城を名島城から福岡城に移すとき、黒田二十四騎の一人である林掃部(はやしかもん)に下げ渡され、邸宅の門として使用されていました。
名島城の建物や石垣は福岡城築城の際に再利用されましたが、この名島門は名島城の数少ない遺構の一つです。
明治中期ごろ、名島門は長崎に移築されそうになったのを、当時の代議士・平岡浩太郎氏によって買い戻され、天神の自宅の門として使用されていました。戦後、ビルの建設に伴い、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地に移されました。
ちなみに、林掃部は朝鮮出兵の際、槍で虎退治をした人物として有名です。掃部には朝鮮出兵にまつわるもう一つのエピソードがあります。
朝鮮の戦地で泣いている幼女がいました。親も身内も見つからなかったので日本に連れて帰り、娘同様に養育しました。掃部の死後、彼女は剃髪出家して掃部の菩薩を弔いました。
彼女は現在、金龍寺に妙清地蔵(朝鮮地蔵・幸福地蔵ともいう)として祀られています。このように、黒田武士は強いばかりではなく、心優しい一面も持っていました。 |