名槍日本号は、もともと正親町(おおぎまち)天皇(在位1557~1586年)が所有していたものですが、室町幕府15代将軍・足利義昭に下賜され、織田信長、豊臣秀吉へと渡り、戦国大名の福島正則が拝領したものです。
時は文禄5年(1596年)の正月、場所は京都伏見。母里太兵衛(ぼりたへえ)は、主君の黒田長政の名代として福島正則邸へ年賀の挨拶に行きました。正則は酒癖が悪いので、長政は「酒を勧められても絶対飲むな」と命じていました。
年賀の挨拶を交わすと、正則は案の定、太兵衛に酒を勧めます。太兵衛は「君命ですので今日は飲めません」と断りますが、正則はしつこく酒を飲めとからみ、「この大杯の酒を飲み干せば、望みのものを取らせてやる」と言うので、太兵衛は大杯になみなみとつがれた酒を飲み干し、名槍日本号を手にして帰ったのです。
この名槍日本号は槍の長さが79.2センチ、全長が321.5センチで重さ2800グラムの大身の槍です。
その後、太兵衛と同じ黒田二十四騎の一人である後藤又兵衛などの手に渡り、最終的に黒田家に献上された名槍日本号は、さらに黒田家より福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館の所蔵品で常時展示されています。
西公園の光雲(てるも)神社境内には、名槍日本号を持った母里太兵衛の銅像があります。 |