
日蓮宗の長光山香正寺 | 香正寺(こうしょうじ)は日蓮宗のお寺で、開山は可観院日延上人です。朝鮮の高麗国王の王子で、4才のとき、朝鮮に出兵した肥後の加藤清正に連れられて日本に渡って来たのが、後の日延上人です。
福岡藩2代藩主・黒田忠之と、義姉の長光院の帰依を得て、現在地に9,000坪の寺地を与えられた日延上人。宗像の禅宗の廃寺「立国山香正寺」の名前を受けて、寛永9年(1632年)、日蓮宗に改め「長光山香正寺」を開山しました。
山号は、長光院の名に由来します。境内には、その長光院の墓や、幕末の歌人・大隈言道の墓があります。 |
香正寺の前を走る「上人橋通り」は、日延上人の名にちなんでいます。日延上人は囲碁に精通していて、藩主・黒田忠之の碁の相手をよく務めていました。
ある日、いつものように日延上人が登城しようとしたところ、香正寺と福岡城下の間に流れる小川が降雨で増水し、日延上人は川を渡ることができませんでした。
この一件を聞いた忠之は、小川に橋を架けさせました。それが上人橋です。忠之が揮毫したといわれる「上人橋」と刻まれた橋柱は、現在、香正寺の庭園内に保存されています。
小川は昭和10年代に埋められ、現在は国体道路へと姿を変えています。 | 
大隈言道の墓 |
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