この戦死・餓死者のうち、福岡歩兵第124連隊の将兵3,179名が犠牲になっています。彼らの死を悼み、ガ島戦死之碑が昭和49年3月、ガ島会によって建立されました。
ところで、かつて福岡藩の下級武士は「谷わくどう」と呼ばれていました。
現在の南公園から福岡城跡にかけては昔、丘陵が広がり、数々の谷がありましたが、武士たちが雨の日に、ぬかるむ足下に気を配りながら谷を上下する様子が「わくどう」(がまがえるの方言)に似ているというので、「谷わくどう」と呼ばれていました。
浪人谷や馬屋谷、御所ヶ谷、駿河谷、地蔵谷など、多くの谷が町名として残っていましたが、昭和の町名改正により、現在でも残っている「谷」が付く地名は、陸軍墓地がある「谷」と「御所ヶ谷」の2つとなりました。 | 
陸軍墓地がある谷公園 |
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