
明治通り沿いに立つ福岡市役所跡碑 | 福岡市が誕生したのは明治22年(1889年)4月1日のことです。このとき市役所があった場所には現在、碑が立っています。当時の市役所は木造2階建ての建物でした。
市域は、東境が御笠川、西境が樋井川で面積はわずかに約5平方キロメートル。現在のおよそ67分の1でした。人口は約5万人で、市職員もわずかに41人。市役所には庶務課、税務課、収入課の3課があっただけでした。
「福岡市」という名前についてですが、明治23年に市議会で議員の一人が「市の名前を『福岡』ではなく、歴史の古い『博多』に改めよ」という議題を提出しました。
もともと「博多」と呼ばれていた地に慶長6年(1601年)、福岡藩初代藩主・黒田長政が城を築く際、先祖の地であった備前福岡(現在の岡山県)にあやかって、福岡城と命名しました。それ以来、中洲を流れる那珂川を境に東を博多、西を福岡と呼ぶようになりました。
話は明治の市議会に戻って、当時の議員は博多部出身が17人、福岡部出身が13人で「博多市」が優勢でした。ところが、最後の多数決で博多部出身の議員4人が欠席し、結果13票対13票の同数に割れてしましました。
そこで、旧福岡藩の武士だった議長が一議員として投票し、1票差で福岡市になりました。
その後、市役所はいったん水鏡天満宮の東側に移った後、大正12年に現在の場所に移転。昭和63年に建て替えられて今に至ります。 |