福岡市に「チンチン電車」が初めて走ったのは、明治43年(1910年)3月9日のことです。
この年、産業博覧会の「第13回九州・沖縄八県連合共進会」が、現在のアクロス、福岡市役所庁舎、旧岩田屋周辺を会場として開催されました。これに合わせて、福沢諭吉の養子で実業家の福沢桃介(とうすけ)と松永安左衛門(やすざえもん)が中心となって福博電気軌道が設立され、西公園~大学前(九州大学)間および呉服町~博多駅前間が開通しました。
その頃、もう1つのチンチン電車の敷設計画もありました。渡辺与八郎をはじめ、地元資本により博多電気軌道が設立され、明治44年10月2日に須崎~博多駅前間で営業を開始しました。渡辺与八郎は「渡辺通り」の由来になった人物でもあります。
ちなみに、「チンチン電車」の名は運転席のベルの音に由来します。電車には運転手と車掌が一人ずつ乗車し、停留所に停車して乗客の乗り降りが終わると、車掌は車掌室の天井からぶら下がっているひもを2回引っ張ります。このひもは、天井を通って運転席のベルに伸びており、運転席のベルをチンチンと鳴らし出発進行の合図となります。このベルをたたく音から名付けられたものです。
開通後それぞれの路線は延伸され、昭和9年(1934年)には両社は統合されて、市民の足として重宝がられたチンチン電車でしたが、バス路線の充実や交通事情の変革などで赤字経営になり、地下鉄の開通もあって廃止されることになりました。
昭和48年から路線は順次廃止され、同54年2月11日、最後まで残っていた路線が廃止されてチンチン電車の歴史は幕を降ろしたのです。
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