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更新日: 2016年10月1日
 このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。
 随時記事の追加や修正を行っていますが、記載内容の誤り等、何かお気づきの点がございましたら企画振興課(092-718-1013)までお知らせください。
 なお、本記事を無断で転載・引用等することはご遠慮ください。

【赤銅御殿】


伊藤家の別邸・赤銅御殿と柳原白蓮

カフェの裏に赤レンガ塀が残っています

カフェの裏に赤レンガ塀が残っています
 万延元年(1860年)、現在の飯塚市に生まれた伊藤伝右衛門(でんえもん)は、一介の炭鉱労働者から身を興し、炭鉱経営に成功した立志伝中の人物です。伝右衛門は、第十七銀行(後の福岡銀行)頭取、博多ガス社長、衆議院議員なども務めました。


 一方の柳原白蓮(びゃくれん)は、伯爵・柳原前光(さきみつ)の次女として明治18年(1885年)に生まれ、14歳で北小路資武(すけたけ)と結婚。15歳で長男を出産するも離婚し、明治44年(1911年)、伝右衛門と再婚しました。

                         
 生まれも育ちも、世の中の価値観も全く違い、年齢差は25歳。うまくいく訳がなく、白蓮は贅沢な生活を送っていましたが、悶々とした心境だったのでしょう。


 大正10年(1921年)、上京した2人は用件終了後に東京駅で別れ、白蓮は1人東京に残って失踪してしまいました。これは、白蓮の恋人で青年弁護士の宮崎龍介と示し合わせたことで、計画的なことでした。白蓮が伝右衛門に宛てた絶縁状は、当人に届く前に新聞紙上で発表され、その内容が過激なこともあり、世間を騒がす大事件となりました。


 その頃、伝右衛門は天神町にあった伊藤家の別邸・赤銅御殿(あかがねごてん)を白蓮のために大改装していました。屋根をすべて銅でふいた豪壮な建物でしたが、完成したのは離婚劇以後のことで、白蓮はこの豪邸に住むことはありませんでした。


 残念ながらこの豪邸も、昭和2年(1927年)、漏電のために全焼しました。現在、天神にある伊藤ビル敷地北側に赤銅御殿名残の赤レンガ塀が残っていて、昭和通りに面するカフェの裏に、その一部を見ることができます。


 白蓮はその後、歌人、婦人運動家として活躍し、昭和42年(1967年)81歳で亡くなりました。伝右衛門は同22年(1947年)87歳で亡くなっています。
わずかに覗く赤レンガ塀

わずかに覗く赤レンガ塀
 

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