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更新日: 2016年10月1日
 このページは、中央区の区民ボランティア「ちゅうおうPRサポーター(平成24年3月末をもって事業終了)」が取材を行い作成した記事をもとに掲載しています。
 随時記事の追加や修正を行っていますが、記載内容の誤り等、何かお気づきの点がございましたら企画振興課(092-718-1013)までお知らせください。
 なお、本記事を無断で転載・引用等することはご遠慮ください。

【水鏡天満宮】

 

都会に凛とたたずむ水鏡天満宮

「天神」由来の水鏡天満宮

「天神」由来の水鏡天満宮

 「狭い入口からは想像がつかないかもしれませんが、境内は奥行きが広く、街中にありながらとても静かです。朝はよくサラリーマンの姿もお見かけしますよ」と宮司の小鳥居良彦さんは話します。



 太宰府に左遷されて博多に着いた菅原道真は、今泉辺りを流れていた四十川(しじゅうがわ・現在の薬院新川)の水面に映った自身のやつれた姿を見て、嘆き悲しんだといいます。


 これにちなんで今泉に建てられた容見(すがたみ)天神は、福岡藩初代藩主・黒田長政によって水鏡天満宮として現在の地に移されました。福岡城の鬼門除けとして移された水鏡天満宮は、以来福岡の地を守ってきました。


 ちなみに「天神」とは菅原道真のことであり、このときの移転が天神の地名の由来です。
 
 境内には宮司さんの奥様が手入れされたお花が咲いていて、ほかの草木も緑濃く茂っています。高く立ち並ぶビルや、多くの人や車が行き交う道路に囲まれながらも、この神社は凛と佇んでいます。忙しい仕事の合間などに訪れると、不思議と心穏やかになれるでしょう。


 ちなみに、南側の鳥居に掲げられた「天満宮」の文字は、福岡県出身の元総理大臣・広田弘毅が書いたもので、北側の鳥居の「天満宮」の文字は、福岡藩最後の藩主・黒田長知の子・長成(ながしげ)が書いたものです。
境内に咲くあじさい

境内に咲くあじさい
 

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