
桜ケ峯神社 | 桜坂二丁目に桜ケ峯神社があります。西鉄バス「桜坂」バス停または地下鉄「桜坂」駅から北の方角へ歩いて約8分の所にあります。同神社周辺は、江戸時代には大鋸ノ谷(おがのたに)と称されていました。
桜ケ峯神社由来記によると、御祭神は、瀬織津媛神(せおりつひめのかみ)、速佐須媛神(はやさすひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速秋津媛神(はやあきつひめのかみ)です。
江戸幕府9代将軍・徳川家重(在職1745年~1760年)の時代に作られた「桜峯地蔵記」が貴重な絵巻文献として現存し、同神社の由来を知ることができます。
記録によれば「那珂郡大鋸谷、桜嶺に石蔵の石像あり」。昔、欽明天皇(在位539年~571年)の時代に、夜「光を発する石像あり。之を祈願すれば必ず御利益あり」というので、土地の人は「荒具神社」として奉祀したそうです。
承応元年(1652年)には、福岡藩2代藩主・黒田忠之が同地で鷹狩をしたとき、霊験顕著なのに驚いて社殿を改築したということです。 |
江戸時代に書かれた「筑前国続風土記付録」の絵図によると、当時は大規模な神社だったようです。また、同風土記には「竃門(かまど)山修験の徒、国中の諸山をかけ廻り、この地蔵にも詣でて勤行す。境内に桜樹多くして桜ケ峯の名におえるべし。春の頃花の盛りには愛賞するに堪えたり」とあります。
このように、この地は当時、有名な修験道場として栄えたようです。また、桜の名勝の地であったこともうかがえます。
昭和25年および同51年の改築を経て、現在に至っています。なお、境内には「赤坂老人いこいの家」があります。
同神社の近くには、元禄のころ、黒田藩士である高田新兵衛の夢枕に菅原道真が現れ、そのご神託により新兵衛が道真の像を刻み、お祀りしたという菅原神社があります。また、幕末の勤王派の志士で、乙丑(いっちゅう)の獄で切腹して果てた黒田藩家老・加藤司書の下屋敷跡もあります。
ほかにも、ふくろうの森(赤坂西緑地)、赤坂公園、赤坂緑地などもあり、緑の多い散策コースとしては素晴らしい所です。お薦めのコースですよ。 | 
桜ケ峯神社近くにある菅原神社 |
桜ケ峯神社の地図を表示(福岡市Webまっぷへ)
菅原神社の地図を表示(福岡市Webまっぷへ)
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