LastUpDate: May 9, 2019

博多小知识 147

水兵服和五月花柱舞

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直到十几年前,日本女学生的制服几乎都是水兵服。这种与水手服非常相似的制服,据说其发祥地是福冈。1921年,以“MISSION”的爱称而广为人知的福冈女学院采用了这种制服。冬装是深蓝色的衣服配上深红色围巾,夏装则是蓝色衣服配上白色条纹。现在也基本上继承了最初的制服款式。


当时的女学生身穿和服上学,参加体育活动时也不方便。因此,校长伊丽莎白¡¤李(Elizabeth Lee)参考自己穿的衣服,设计了一种更便于活动的服装,这就是水兵服。当时,由于制服的布料很难弄到手,所以从伦敦订购了150名学生的制服布料,并特意订做了鞋子。这种新颖的制服立即受到好评,誉满全城。


并且,李校长还创出了福冈女学院的著名活动。毎年在建校纪念日5月18日举行五月花柱舞。五月花柱舞原来是感谢大自然恩惠的节日,在欧洲各国自古以来一直留传。在福冈女学院,学生们围绕着花柱一边跳舞,一边编织红白布条。从此日开始,制服也换成夏装,因此,五月花柱舞正是宣告初夏到来的活动。


身穿洁白衣裙的“五月女王”前来参加五月花柱舞。现在的五月女王是从初中2年级全体学生中挑选出来的1名学生。五月花柱舞和五月女王活动比水兵服诞生的时期更为古老,始于1916年。据说初期的五月女王是从最高年级学生中选出的品行端正、学习成绩优秀者,她身穿黑色带有家徽的正装和服,坐在坐垫上。



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セーラー服とメイポールダンス

一昔前まで、日本の女子学生の制服はほとんどがセーラー服でした。水夫の服によく似たこの制服は、福岡が発祥地だといわれています。1921年に、「ミッション」の愛称で知られる福岡女学院が制服として採用しました。冬は紺色の服にえんじ色のスカーフ、夏はブルーの服に白いストライプ。最初に制服が生まれたときのスタイルを、基本的に現在も受け継いでいます。


当時の女子学生は着物で学校へ通っていましたが、これではスポーツをするのも不便です。そこで校長のエリザベス・リーが、自分が着ていた服を参考にして、もっと動きやすい服装を考案したのがセーラー服でした。当時は制服の布地を手に入れるのも難しかったためロンドンから生徒150人分を取り寄せ、靴も特別にあつらえたものでした。斬新な制服はすぐに街中の評判になりました。


リー校長は福岡女学院の名物行事も生み出しています。毎年、創立記念日の5月18日に行われるメイポールダンスです。もともとメイポールダンスは、ヨーロッパ諸国に古くから伝わる自然の恵みに感謝する祭です。福岡女学院では生徒たちがポールの周囲で踊りながら、紅白の布を編んでいきます。この日から制服も夏服に衣替えするので、まさに初夏の訪れを告げる行事となっています。


メイポールダンスには純白のドレスを着た「メイクイーン」が参加します。現在のメイクイーンは、中学2年生全員の中から生徒たちの間で1人が選ばれます。メイポールダンスやメイクイーンの行事はセーラー服の誕生より古く、1916年から始まりました。初期のメイクイーンは最上級生で品行方正・学術優秀な者が選ばれ、黒紋付の和服を着て座布団の上に座っていたそうです。