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現在位置:HOMEの中の観光・イベント・魅力の中の博多の豆知識から博多の豆知識vol.3 「海外留学生はじめはじめ」
更新日: 2009年3月20日

博多の豆知識 vol.3

daimyoarea


海外留学生はじめはじめ


  今や、中学や高校時代から留学することも珍しくないようですが、福岡で最初に留学した人って誰でしょう?海外で勉学することを目的に海を越えて行ったのは、江戸時代、幕府が海外渡航の禁制を解いた、幕末の慶応3年(1867)3月のことでした。このあたりの時代はNHKの大河ドラマ「篤姫」をご覧の方は詳しいかもしれませんね。

 当時、赤字財政に苦しんでいた福岡・黒田藩の殿様、黒田長溥は「100年の計は学術文化の振興にあり」と、お金をはたいて6人の若侍を欧米に留学させたそうです。その6人が福岡で最初の留学生といわれ、彼らも勇んで旅立ちます。3月に福岡を離れ、ビザや船待ちで横浜からアメリカの汽船・コロラド号で出発したのは7月、27日がかりでサンフランシスコに到着。横断鉄道などなく、パナマ運河を大回りでボストンへ渡ります。ここで6人中5人が降りますが、一人、19歳の松下直美(なおよし)はさらに大西洋を越えて、ヨーロッパに渡りました。本当はパリ留学を命じられていたのですが、船内で知り合ったスイス横浜領事に「パリは物価が高い。我が国にいらっしゃい」と勧められて、予定を変更、スイスはローザンヌにて法律を学ぶことになったとか。

 翌年、日本は明治維新を迎えます。結局学費が続かずに、1年あまりの留学で帰国することになりました。帰国して、江藤新平がつくる憲法の起草を手伝ったあと、法律の世界で仕事をしていたようですが、明治32年、第4代福岡市長となりました。福岡市長となって、福岡市は長崎や熊本と大学誘致を競うことになりますが、松下市長はこの誘致に力を尽くして、見事に九州帝国大学の福岡招致が実現するのです。黒田藩の殿様、長溥の「100年の計」を果たすことになりました。たった1年あまりの留学で憲法起草の手伝いをしたり、判事などを歴任する勉学とは、いかなるものであったのか、その真剣さが伝わりますよね。送る方も送り出された方も命がけで時代を変えようとしていたのでしょう。

  福岡市広報課長 佐々木 喜美代

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